今日は田臥選手のNBAデビューだった。

彼の存在を知ったのは、私が高校2年生の時。

中学の3年間はバスケットボール部に身を置いていた。
この時に初めてNBAの試合を、顧問の先生がビデオで見せてくれたもので見て、衝撃を受けた。
そこからは、NBAのミュージックビデオ、NBAのトレーディングカード、NBAのBSの録画を集める事に必死だった。
集めたものを見てプレーの研究をし、練習中に試す事が凄く楽しかった。
この時代には、シカゴ・ブルズにジョーダン、ピペン、B・J・アームストロングなどのスター選手がいて、スリーピート(NBA三連覇)を達成した。
(ちなみに、二連覇はバック・トゥー・バックと言う。)
ちなみに、このときの私のポジションはパワー・フォワードというポジションで、当時フェニックス・サンズに所属していたチャールズ・バークレーや、シャーロット・ホーネッツに所属していたアロンゾ・モーニングという主にゴール下で体を張ったプレーをする選手を研究していた。
まあ、好きなプレーヤーも同じポジションの選手が多かった。

高校にはバスケ部は無かった。
女子校から共学に変わった高校に入学した私は、40人のクラスに男が6人という場所に身を置いたが、バスケットボールをやりたい気持ちがあり、無理矢理1年生5人でバスケ部を創ってしまった。
(できるまでは小学生の時にやっていた吹奏楽部に入部し、トランペットを吹いていた。)
どこかのマンガにあったが、5人で新人戦に出て、一回戦で初勝利、二回戦では同点延長で最後に1人退場してしまい、4人でゲームを続けて負けてしまった事もあった。

そんな生活の中で、ウィンターカップの決勝の能代工業戦をテレビで見た。
(確か、能代工業 v.s 九州工業大学付属だったと思う。そんな学校無かったらごめんなさい。)
初めて田臥選手のプレーを見たのはこの時。
印象としては圧倒的な視野の広さが強烈だった。
国体選手に選ばれた中学の時の同級生は、かなりバスケットの強い高校に進学したので、練習試合で何回か田臥選手とマッチアップしていた。
そのときの話を聞くと、「One On Oneでは互角にやれたけど、パスの選択肢が増えると歯が立たなかった」と言っていた事を思い出す。

あこがれだったチームの選手に日本人が…。
しかも、スパッド・ウェッブ、タイロン・マグジー・ボーグスのようなガードでのNBA入り。

おめでとう。
次は是非ともNBAチャンピョンリングを手に入れて欲しいものだ。

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BOB

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